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いきいきOB訪問1

隠岐諸島について

一般に隠岐の島(おきのしま)と呼ばれている島根県隠岐郡の隠岐諸島は島根半島の沖合い、日本海に浮ぶ離島。古くから大陸との要衝地、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流刑された遠流の島としても知られている。日本書紀にもその地名が記され、江戸時代には北前船の寄港・風待ち港として栄えた。韓国との領有問題がある竹島も隠岐郡の島の一つ、島後(どうご)・隠岐の島町に属する。
隠岐諸島は、太古の火山活動によって現在の形となった。絶壁の外海とおだやかな入江・湾と二つの顔を持ち、島前(中ノ島・海士町、西ノ島・西ノ島町、知夫里島(ちぶりしま)・知夫(ちぶ)村)と島後(隠岐の島町)と呼ばれる四島に住人がおり、総人口は約24、000人。大山隠岐国立公園としても知られる観光、漁業、農業の島である。良く晴れた日、遥か海の彼方に大山の頂きを望める。
隠岐島諸島への交通は、飛行機(大阪と出雲から各一便)か、船(境港と七類港からの高速船かフェリー)となる。

島前・中ノ島(海士町)の人口は2300人、玄関港は菱浦である。港のある菱浦湾に入る手前には、三郎岩(太郎・次郎・三郎)と呼ぶ奇岩が起立している。菱浦湾は、明治期にここに滞在した小泉八雲(アイルランド生まれの作家、ラフカディオ・ハーンのこと)が、その美しくおだやかな海面を鏡に例えて「鏡が浦」と呼んだほど波静かな湾である。
島では、岩牡蠣や白イカなどの海の幸に加えて、「隠岐牛」ブランドの高級和牛の飼育生産に力を入れている。豊な海と自然に恵まれた観光の島であり風光明媚な明家海岸、標高160mからの展望が楽しめる金光寺山などのスポットがある。
島のことで欠くことができないのは、承久の乱に敗れこの島に配流された「後鳥羽上皇」のことであろう。承久3年(1221年)に配流され、19年の後、この島で没した。上皇を祭る隠岐神社や後鳥羽院資料館がある。

菱浦湾
菱浦港
三郎岩
明屋海岸
隠岐神社

西ノ島(西ノ島町)は、人口4、600人。島後に次ぐ大きさの島で中ノ島に添うような形で水道を経て並んでいる。島の北側になる外海は断崖絶壁が多く、摩天崖・観音岩・明暗(あけくれ)の岩屋と名付けられた奇岩奇勝が見られる。特に「明暗の岩屋」はイタリア・カプリ島の“青の洞窟”に勝ると評する観光客もいるとか。
西ノ島の中央部のくびれた部分を開削した“船引き運河”が外海と内海を結んでいる。長さは300m程の小さな運河ではあるが、この運河の開通により島の人々の生活が大きく改善された。人力で開かれた運河であり古人(いにしえびと)の苦労が偲ばれる。

観音岩
明暗の岩屋

知夫里島(知夫村)は、人口800人の島で四島の中では一番小さな島。1332年、後醍醐天皇が隠岐に配流されて最初に上陸した島がこの島と云われる。島の一宮(いっくう)神社(じんじゃ)には、天皇が腰をかけて休まれたと伝えられる「御腰掛の石」がある。
また、釣り人のメッカでもあるこの島は、別名狸島とも呼ばれている。島内には人口の三倍もの狸が生息していると言われている。

隠岐諸島最大の島、島後(隠岐の島町)には、住民16、000人が暮らす。隠岐諸島における空の便、海の便の窓口でもある。牛突きと呼ぶ闘牛、特有の隠岐しゃくなげ、ローソク島・象ヶ鼻などの奇岩の海岸。樹齢2000年の八百(やお)杉(すぎ)、根本から六本の幹に分かれて伸びた樹齢600年の蕪杉(かぶらすぎ)、岩山の頂上付近に張り付いたトカゲのように見えるトカゲ岩や隠岐最古の木造住宅で重要文化財の「佐々木家住宅」などの見所がある。

樹齢2000年の八百杉
樹齢600年の蕪杉
重要文化財 佐々木住宅
浄土ヶ浦海岸

隠岐諸島は豊な漁場と自立可能な農業、そして景勝に恵まれた観光の島であるが、全国の地方が人口減少や高齢化が進んでいると同様に、ここもまた同じ悩みを持っている。この対策としてUターン、Iターンの受け入れ施策を積極的に展開しており、遠くは北海道からIターンの若者もいる。

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