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いきいきOB訪問1

島に生まれ・島に生きる

島根県隠岐郡海士町で生まれた花岡美近さんは、島の高校を卒業後郵便局に入り電話業務に従事。その後開局した電話局に移り機械職として勤務。平成13年、拠点廃止にともないNTTを退職するまで、島一筋に生きてきた。
その間には、島外での仕事の誘惑や難病の罹患など様々な出来事があった。

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サイドストーリー

取材では、飛行機で島後(どうご)の隠岐空港に向かい、この島の西郷港から花岡美近さんが住む島前(どうぜん)、中ノ島・海士町(あまちょう)・菱浦(ひしうら)港へと高速船で向かった。船の所要時間は約30分、20km程の行程。

黄昏の菱浦港には、杖を手にした花岡さんが出迎えてくれていた。この日、取材の予定はなかったが、滞在するホテルまで同行してくれた。折角だから、少し話を聞かせてもらうことにした。体のこと、議員活動のことなど・・・。 ホテルのロビーを杖を頼りに歩く姿、弱々しい足取りから病気の進行は自ずと知れた。

―議員として住民の立場に立つ―

この時点では、4月24日(日)投票日の町会議員選挙の結果を聞いていなかった。先ずは、選挙の結果を訊いた。
「後から二番目やったけど、当選した」「この体やから、選挙活動言うても電話をするだけやから・・・」と。

実は選挙運動どころではない事情があった。幼い孫(長女の娘)が、先天性の心臓疾患で手術をしないと生存できないと診断されたそうな。その病院探し、入院・手術と気掛りな事が続いていたのだ。

『お金は幾ら掛かってもいいから、一番いい病院を探せ』花岡さんは、こう云ったろうと疑わない。この人は、体の大切なことを身を持って知っている人だから。お孫さんは東京の病院で無事に手術を終え、元気になったそうだ。
議員活動について訊くと「怠けるのが大嫌いじゃき、議会では必ず一般質問をするんよ。一回だけ、松江の病院に心臓のペースメーカの入れ替えに行った帰り、フェリーが遅れてできんかったことがある」「あることで町民が不便をしとった。改善するよう議会で質問しても、ちゃんとした応えがない。とうとう痺れをきらして"花ちゃん新聞"いうのを自分で作って、このことを書いて配ったら大騒ぎになって・・・」住民の側に立って筋を通す、厳しい議員活動ぶりを垣間見る思いがした。
余談ながら、もう一つ訊ねた。議員の会派、グループはどんな構成になっているんですか?
「議員は10人ですが、5対4対1やね」この人数構成を聞き、最後の孤高の一人が花岡さんじゃないかと心配になった。が、違うとの返事で内心胸をなで下ろした。

―珠算は教育、そして生き甲斐―

珠算教室の話となった。すると花岡さんは、一枚の小さな紙を取り出した。
それには、過去37年間の珠算教室の生徒達で小学校卒業までに段位を取得した生徒の名前が記されていた。最高段位の6段を筆頭に20名の名前が記されていた。

花岡さんが手塩に掛けて育ててきた子供達の成果である。この子供達一人ひとりに花岡さんの情熱が、想いが込められているにちがいない。
この中には、珠算競技“さんいん大会”で上位入賞し、全国大会出場を果たした子供達もいる。丁度この頃と重なるか、それまで教室として利用していた公民館が、利用規則が変わり使えなくなったのは。
それからは、町から離れている自宅で教室を開くようになった。子供達が不便になったことが一番の気掛りではなかったろうか。
小学生では最高の段位は何段ですかと訊いた。
「10段を取る子供もいますよ。宮城県の代表として全国大会に出てくるメンバーには10段が何人もおり、驚かされました。大人も子供も段位は一緒ですから、凄いもんです」
珠算の効用について「計算ができるようになることは脳を活性化し、学業にも役立って優秀な子供になります」と言う。それだけではないだろう。珠算教室を取材しながら感じたことは、行儀、調和、思いやり、しつけと色々な面に作用しているようだった。
花岡さんにとって珠算教室は『珠算を超えた教育の場であり、ご自身にとっての生き甲斐』ではないだろうか。

毎年人口が減少している島の高校(島前高校)は、存続の危機に立たされている。優秀な子供は、都会の高校へと進学する割合が年々高くなってきた。
定員の60%を割ると廃校すると県から伝えられている。高校存続委員会のメンバーとして、学校の魅力化構想を練り、生徒集めに尽力するのは教育の場の重要さと必要性を痛感すればこそ。島の唯一の高校を残すために奔走する。
何事にも全力投球の人である。

4月、嬉しいことがあった。これまで離れて暮らしていた長男が、島の高校教師として戻ってきた。長男一家が同居、花岡家が賑やかになった。珠算教室の生徒も一人ふえることとなった。

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