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電話局のある風景 Web特別版

「津軽の塔」(旧石崎無線中継所)

Old soldiers never die; they just fade away.
「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」

終戦直後の日本を占領した連合国軍の最高司令官マッカーサー元帥がトルーマン大統領に解任された後、米国議会で行った演説の一文である。先輩読者の中にも、職場を去る際口にした人がいるかもしれない。しかし、老兵は去らず、再雇用や継続雇用、シニア採用などが常態化している現在では、格好いい決め台詞にはならないのかもしれない。

さて、今回「電話局のある風景」Web特別版で紹介するのは、「老兵は死なず、ただ立ち尽くすのみ」という、本州の北のはずれ、津軽海峡に立つコンクリートの建造物。旧石崎無線中継所、通称「津軽の塔」だ。

「津軽の塔」の存在を知ったのは、YouTubeに投稿されている1本の動画だった。
「鉄筋コンクリート造 無線塔の建設 〜企画 日本電信電話公社〜」と書かれた題字で始まるこの動画は、「津軽の塔〜石崎無線中継所〜」のタイトルで公開されていた。

20分弱のこの記録映画は、塔が建設された1978年当時の電気通信に占める無線網の役割の大きさや塔建設の過程、人々の熱い思いがドラマチックに描かれている。なんと、映画のためにオリジナル主題歌まで製作しているのだ。

いまもし、20分の時間的猶予がおありなら、この記事をお読み頂く前に是非、動画を視聴して頂きたい。

動画 「津軽の塔〜石崎無線中継所〜」

準備が整ったところで、「津軽の塔」に会いに行くことにしよう。

旅のはじまりは青森空港。車で出発する。青森市内を抜け、国道280号の内真部(うちまんぺ)バイパスに入り、北へ向かう。その道は途中で内真部-蓬田(よもぎた)バイパスと名称を変える。その後、カーナビの言うとおりに細い道を右に曲がり、小さな踏切を渡ると、海岸線に出た。渡った線路はJR東日本の津軽線。青森と三厩(みんまや)を結ぶローカル線だが、途中までは本州と北海道を結ぶ津軽海峡線の一部を構成している。北海道新幹線の開通後はどうなることか。

右手に陸奥湾を眺めながら、津軽線と平行する国道280号を北上する。蟹田を過ぎると津軽線は山の中に消え、海岸線は国道280号線と時々現れる集落のみの景色に変わる。

青森空港から1時間ほど走って、「道の駅たいらだて」に到着。駐車場には1台の車もいない。11月に入って、冬季休業になったらしい。手洗いを済まし、駐車場に戻ると正面の山の後ろに立っていた。そう、「津軽の塔」が。しかし、手前の山に大きな無線アンテナの塔が2本も屹立し、「津軽の塔」の存在感が薄い。その姿をここで晒すのは止めておこう。

道の駅からしばらく車を走らせると、より大きくその姿を臨める浜に出た。ここは、陸奥湾から津軽海峡への出口となる平舘海峡に面した場所。内海とは異なる風が吹いてくる。大きく海に張り出した桟橋から、眺めてみる。

老兵は立っていた。遠く北海道の大地に向かっているのだから、後ろ姿か。静かに佇んでいた。風が寒い。雪が吹き付けたら、外套を着ても立っていられないだろう。

※すべての画像がクリックで拡大表示できます

草が生い茂って荒れ果てた塔に続く道を上っていく。近づけば近づくほど存在感と威圧感が高まる。思い切り見上げないと、全容を捉えることが出来なくなってくる。


塔に続く道


滑らかに湾曲する塔

正面に立つ。「なんじゃこりゃ!」。自分の存在と彼の存在を、対峙させる。この老いぼれ。役立たず。忘れ去られたもの。それは、俺のことか。


電電公社のマークが残る表示板


無線塔完成を記念して建てられた碑

塔の裏側に回り込んでみる。生の気配というものがまるで無い。海岸では吹いていた風が、ここまでは届かない。枯れ草や落ち葉が堆積した不安定な地面を踏みしめると、自身の不安がよぎる。この先どうなるのか。生きながらえるのか、朽ち果てるのか。俺はどうなるのか。

「無用の長物」、「スクラップ」、役に立たないものの言い表し方は様々あるが、せめて芸術の香りの残る「トマソン」と呼んで欲しい。「津軽の塔」は今でも、本州を背に北海道に向かって立ち尽くしながら、人と人が繋がることの意味を守り続けているのだ。


アンテナが設置されていたテラス部


津軽海峡側から塔を望む

さて、安っぽい哲学気分はここまでにして、この先は観光客気分で津軽半島竜飛崎を目指して行くことにします。(文体も変わります)

「津軽の塔」を後にして、国道280号を北上。津軽半島の2つのこぶの右側をぐるりと回って行くと、再び津軽線の線路が見えてきます。終着駅の三厩を過ぎると、山が海に迫り、道は細くなって、いつしか国道339号になっていました。

国道339号には、この旅の付録のひとつがあります。日本で唯一の階段国道です。竜飛の街に入り海岸沿いに走ってみますが、階段国道の入口がわかりません。下が分からないなら、上から行ってみよう。竜飛崎へ向かうことにします。

あった。ありました。完全に観光地化されています。早速、階段を下りていきます。中間地点には階段ではないところがあり、その先の斜面はつづら折りの階段。かなり急です。階段を下り掛けたとき、帰りの登りのことが気になりましたが、ここまで来た以上、下の入口を確認しないわけにはいきません。階段を下りきってみると、民家の脇の狭い路地です。お馴染みの国道の標識も立っていました。少し歩くと、海岸沿いの通りに出ました。振り返ると大きな看板がありました。これが、目に入らないとは。


階段国道の上の入口


階段から望む竜飛の街


階段国道の上り口


階段国道の入口の看板

上り口を確認して、いざ帰ります。恐れていたとおり、階段の途中で息が続かなくなりました。中間点で暫く休憩して、ようやく頂上に辿り着きました。読者のみなさんには、上りか下りかどちらかの一方通行をお薦めします。

階段国道の頂上のすぐ横に、立派な石碑が建っています。あの名曲『津軽海峡冬景色』の歌謡碑です。石碑の向こう側で海を眺めているおじさんがボタンを押したのでしょう、石川さゆりさんの歌声が風に乗って竜飛崎を舞っていました。


『津軽海峡冬景色』の歌謡碑


碑の横にはNTT東日本の竜飛交換所が


竜飛埼灯台


北のはずれの海岸線


太宰治『津軽』の碑


旧奥谷旅館

竜飛崎に上ってから竜飛の街に戻り、「ここは本州の、袋小路だ」ではじまる太宰治の『津軽』の碑や文人ゆかりの旧奥谷旅館などを訪ね、いよいよこの旅のフィナーレへと向かいます。行き先は、青函トンネル記念館。そこから竜飛海底駅に向かいます。

海底駅までは、日本一短い私鉄「青函トンネル竜飛斜坑線 もぐら号」で行きます。青函トンネル工事における作業員の移動や物資の輸送などを目的として建設されました。この日の最終便に乗って、往復40分の地底旅行です。出発の合図とともにトンネル内と地上の気圧差を調整する鉄の扉「風門」が上がって、地底世界が口を開きます。


もぐら号


風門の先に見える斜坑線のトンネル

想像以上にガタゴト揺れるもぐら号に乗ること約10分。海面下140メートルの斜坑線の海底駅に到着します。


もぐら号から


斜坑線の海底駅

実際の工事に使用された坑道を歩きます。トンネル壁面や地面がリアルです。


実際の工事に使われた坑道と展示
 

体験坑道の展示などを見学しながら、奥へ進んでいきます。竜飛海底駅まではもうすぐのはずです。しばらくツアーガイドさんの後を歩いて行くと、「ツアーは以上です。海底駅まで戻ります」。えっ、え〜。竜飛海底駅は?

なんと、北海道新幹線の2016年開通に伴って竜飛海底駅の見学は終了してしまった、とのこと。無念、「遅かりし由良之助」。青函トンネルは、在来線と新幹線が同じ路線(軌道の幅は2種類)を走るので、安全上ホーム見学は出来ないとのこと。開通前なのに、なんと言うことでしょう。ホーム方面に向かう工事関係者が、羨ましいです。


竜飛海底駅に続く通路


「青函トンネル記念館」

竜飛海底駅のホームに立つことができず残念でしたが、世界に誇る青函トンネルの現場に触れることが出来て満足しました。そして何より、帰り道に選んだ国道339号の西海岸ルートで素晴らしい夕景に出会えたことを記憶に留めたいと思います。

北のはずれに立つ「津軽の塔」を訪ねるのは容易なことではありません。でも、みなさんの近くにも「老兵は死なず」のNTT建造物があるのではないでしょうか、昔は窓口があって賑わっていた電話局やアンテナが沢山設置されていた無線通信塔など。

身近な、「電話局のある風景」を探してみてはいかがでしょうか。

(LA No.349)

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