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電話局のある風景

日本の歴史の節目に名を残す街に建つ白亜の旧電話局
田中絹代ぶんか館(旧逓信省下関電信局電話課庁舎)

逓信省、電電公社、NTTと移り変わってきた電気通信事業の歴史。日本全国に残る歴史的な電電建築物や街のシンボルとして今なお活躍する施設など、元電話局や通信施設とその周辺の街を訪ねるコーナー『電話局のある風景』。今回は、源平合戦から明治維新、近代まで日本の歴史の節目に登場する街、山口県下関市にある白亜の旧電話局です。


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本文

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田中絹代ぶんか館(旧逓信省下関電信局電話課庁舎)本文 (PDFファイル 503KB)

サイドストーリー

歴史と海峡の街 下関を歩こう

取材を生業とする者には、取材先で欠かすことのできない習慣、定番のようなものがある。あるカメラマンは「日の出・夕景は欠かせないぜ」と言ってスタッフを夜明け前から日暮れまで拘束し、あるライターは「繁華街で地元の人と触れ合わなきゃ」と言って飲み屋街を彷徨、そしてあるディレクターは「歴史に触れなければ来た意味が無い」と資料片手に史跡を訪ねて回る。

私はというと、まずは「高いところに行ってみる」ことにしている。その街全体を俯瞰して、地理的な概観を感じる。地形と方向を認識する。

ということで、下関に着いた私は一番高そうな場所、「火の山」に登ってみることにして、市営「火の山ロープウェイ」の駅に向かった。往復500円のチケットを購入して、搭乗。女性駅員さんの笑顔に送られて数分、あっという間に頂上です。

標高268メートルの火の山の名前は、敵の襲来を告げる「のろし」を上げていたことに由来するとか。また、明治時代の中頃には砲台が置かれ要塞として整備されるなど、周囲を360度見渡すことのできる火の山は、古くから戦の要所と見なされていたということ。

確かに、展望台から眼下を見渡すと1日約700隻の船舶が航行する関門海峡をはじめ、下関市街、門司、小倉まで見渡すことができる。


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とはいえ、ちょっと下関市街からは遠い。関門海峡と周辺の様子はつかめるのだが、下関の市街地の雰囲気はさっぱり分からない。「ちょっと、遠すぎるかぁ」と眺めていると、右手の奥の方に、何やら塔のようなものが見える。

あれはもしや、門司港レトロを取材したときに対岸にみえていた、なんちゃらタワーに違いない。行かねば。

やってきました。「海峡夢タワー」。全長は153m。展望室は高さ143mとのこと、早速上ってみます。


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入場料は大人600円、高齢者(65歳以上)は半額の300円。600円でチケットを購入して、エレベーターに乗り込みます。因みに高齢者チケット購入には、年齢を証明するものが必要だとか。見た目が若い諸先輩の皆さんは要注意です。

これが、展望室から関門橋方向の眺めです。さっき登ってきた「火の山」も橋の左上に見えます。


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画面中央付近の観覧車の左側あたりが、本誌で紹介した唐戸付近となります。

さあ、それでは唐戸地区のウォーターフロントまで歩いて行ってみることにしましょう。見た目よりも遠いことは経験的には理解していますが、行けそうな気がします。


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「海峡夢タワー」から20分くらい歩いたでしょうか。唐戸地区の船着き場です。門司港レトロ(片道400円)や巌流島(往復500円)に行く船が出ています。正面の奥にみえるのは、下関市立しものせき水族館・海響館。人気の観光スポットです。

船着き場からレストランや土産物店が立ち並ぶシーサイドモール「カモンワーフ」へ向かって歩いて行くと、手前にテレビで紹介されたこともある「ふく刺しぶっかけ丼」のお店がありました。


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写真の暖簾をよく見てください。「ふく」って書いてあるでしょ。そうなんです。下関では「ふぐ」の濁点を取って「ふく」って呼ぶんです。これは、幸福の福にかけてそう呼ぶもので、「協同組合 下関ふく連盟」といった正式の団体でも「ふく」を使っているんです。本誌の中に「下関のふく」と書いてあったのに気づかれましたかね。ふぐの誤植ではないんですよ。

有名店「ふくの河久」のぶっかけ丼も惹かれたのですが、夕暮れも近づき生ビールでも飲みながら少しゆったりしたいなぁ、などと考え、カモンワーフ内の店の「ふく刺し定食」にすることにしました。

価格は、1000円台から6000円台くらいまで数段階ありますが、奮発して2000円台にしてみました。


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これです。
そりゃあ、東京のふぐ専門店のお一人2万円コースに比べたら量的にも見た目的にも見劣りしてしまうのは仕方の無いこと。なんといっても2,280円なのですから。でも、美味しかったですよ。ごちそうさまでした。

ほろ酔い加減で外に出ると、ウォーターフロントは夕暮れ時です。ですが、空には雲が広がって茜色はありません。「日の出・夕景」に拘るカメラマンならここは、「夕景がダメなら日の出いくぜ」と翌朝5時集合を叫んだかもしれません。「海峡夢タワー」の近くのホテルまで歩いて帰る元気はないので、タクシーを拾ってしまいました。


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ホテルの前に到着してふと見上げると、すぐ目の前に「海峡夢タワー」が屹立していました。上品な薄紫色のライトアップでした。

部屋に帰ってその足で、最上階の大浴場に向かいます。誰もいません。外の露天風呂に出てみます。海峡が見えないかと背伸びしてみますが、見えません。風が、冷たい。ゆっくり温泉に浸かって、温まりました。
[Good Night]

翌朝。バイキング方式ながら焼魚や野菜が温かい、ちょっと気の利いた朝食でエネルギーを充填し、朝の唐戸地区経由で今回の取材地「田中絹代ぶんか館」に向かいます。

「田中絹代ぶんか館」の取材が無事終了し、帰りの飛行機の時刻が気になるところですが、今回の取材であと1カ所行かなければなりません。2015年、下関といえば「幕末」、高杉晋作なしでは語れません。下関には高杉晋作に関係する場所が沢山あるのですが、全部回る時間がありません。ならば1カ所ここと決め、「下関市立 長府博物館」に向かいました。

長府博物館は唐戸地区から北東へ7〜8km行った、長府地区の高台、功山寺の境内にあります。

功山寺といえば、高杉晋作が、遊撃隊士などわずか80人ばかりの同志をひきいて長州藩の守旧派打倒を叫びクーデターの兵を挙げた、その決起の地。元治元年(1864)12月15日、高杉晋作が決起したその日は大雪で、夜は晴れて月が出た。石段も山門も仏殿の屋根も、中天にかかる満月の光を浴びて白一色に輝くなかを、晋作は愛馬に鞭をあてて時代の夜明けにむかって駆け抜けていったといわれている。


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総門脇の碑に「高杉晋作回転義挙之所」とあり、その解説文に「(前文略)高杉のこの挙は 直ちに近代国家への進展を見なかったが たしかにその一道程を進めたものと言えよう」と記されている。歴史というのは、このような一歩一歩を積み重ねて作り上げられていくものなのですね。

室町時代の建てられた総門を潜り、修復工事中の三門の脇から仏殿前の広場に出ると右手に馬に跨がった晋作像が聳え立っていました。銅像の碧と木々の緑が溶け合って晋作さんの表情が読み取り難いのが残念です。

高杉晋作像から振り返った境内の先に、白い石積みの壁と瓦葺き屋根の「下関市立 長府博物館」のおしゃれな建物があります。


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収蔵品は、長府毛利家の遺品や幕末維新の資料が中心です。功山寺ゆかりの高杉晋作はもちろん、吉田松陰や久坂玄瑞、坂本龍馬などがやりとりした書簡がずらりと並んでいます。残念なのは、達筆すぎて原文ではさっぱり読み取れなかったことです。

もう一つ残念なことがあります。せっかくここまでレポートしたのに「下関市立 長府博物館」が、6月1日から休館になってしまいました。大河ドラマが続く今年はもう訪れることができません。しかし、2016年の秋には下関市新博物館(仮称)として開館予定ということですから、楽しみに待つことにしましょう。

博物館からの石段を下ってくると、途中で来館した女性たち数人が集まって立ち話をしていました。

「今度の大河の、あの主役の松蔭やっている人どう」
「そうね、格好いいし、二枚目だし、演技も上手だと思うけど」
「そう、だけど、なのよね」
「華やかさかな」
「絶対見たい、とまで思わない」
「そうねえ」
「高杉晋作はいいんじゃない」

勝手な評価である。しかも今回の主役は松蔭の妹である。でも、実際の吉田松陰や高杉晋作がどうであったかよりも、メディアが作り上げたイメージが人々の心に刻まれていくのも事実である。本人がしたためた本物の文章を読んで、その人の本質に触れてみるのも良いのではないでしょうか。

(LA No.296)

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