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OB対談 | いきいきセカンドライフ

八丈島の太公望
旧交を温めつつ釣り糸を垂らす至福の時

岩本 寿雄さん&浅沼 秀吉さん

岩本 寿雄さん&浅沼 秀吉さん

複雑な海岸線を持つ八丈島は、釣り人に人気の高い場所です。かつてこの島に赴任していた岩本さんも、磯釣りに魅せられた一人。そして岩本さんに一から手ほどきしたのが地元の浅沼さんでした。釣り仲間として親交を深めたお二人に島の魅力を語っていただきました。

本文

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八丈島の太公望 旧交を温めつつ釣り糸を垂らす至福の時 本文(PDFファイル 453KB)

サイドストーリー

カラシでいただく島寿司を堪能、大将も釣りの師匠

八丈富士
上空から八丈富士を望む

東京・羽田からジェット機で45分、「花と緑と温泉の島」と謳われる八丈島があります。今回の取材では、岩本さん、浅沼さんとともに観光スポットを巡り、釣り以外の島の魅力も紹介していただきました。「私が赴任していたころは『花と緑と“人情”の島』と言われていました」と岩本さん。「浅沼さんをはじめ、島の人々の温かさに触れて生活しましたので、“人情”の島は実感していました」
実は岩本さんは、赴任中も各地から職員が出張に来るたびに観光巡りに連れて行ったと言います。多い時は週2回、当時はベテランの観光ガイドのようでもあったようです。

店内風景
八丈島名物の島寿司をいただく

島寿司

そんなお二人にまず案内されたのが、釣り仲間が経営する「あそこ寿司」、島内で最も老舗の寿司店です。八丈島名物の「島寿司」をいただきました。これは島独特の郷土料理で、醤油ダレにつけ込んだネタを使います。そして、わさびではなく、なんとカラシで食べます。今回のネタはメダイとカンパチ。ほんのり甘辛い漬けネタとカラシが絶妙で、知らず知らずのうちにパクパクと食べてしまう、一度食べるとクセになる美味しさです。付け合わせのトビウオのツミレと岩のりの入ったお吸い物も絶品。八丈島産のトビウオは世界でも最大級で、島のシンボルにもなっています。

さらに、島で捕れた新鮮なネタを使ったもう一つの「島寿司」もいただきました。ネタはキツネの海苔巻き(鰹の一種)、オナガダイ、バショウイカ、メダイ、キハダ、カンパチ。これもカラシでいただきます。すると大将から「海苔巻きから先に食べて」と声が掛かります。海苔がパリパリのほうが美味しいからとのこと。少しでも美味しいものを食べてほしいとの思いからです。ネタはどれも新鮮で脂がほどよく乗って肉厚、噛みしめるほどにうまみが口の中に広がります。

岩本さんは「大将にもよく、釣りに連れて行ってもらいましたね。八丈小島っていう、無人の島があるんですけど、そこによく連れてってもらいました」と懐かしみます。浅沼さんは「さっき大将に30年前に使っていた竿とリールを貸してもらったけど、あのリールはよく手入れしてるんだね。30年前のものとはとても思えない」とびっくりしていました。これも大将の人柄を表すものです。

30年前の「樫立踊り」の踊り子に思わぬ再会。

八丈島は周囲59kmで、主に二つの山、八丈富士と三原山からなります。島の形がひょうたんの形をしていることから、ひょっこりひょうたん島とも言われています。
次に案内してくれたのは、その八丈富士の中腹にある「ふれあい牧場」です。八丈島の市街地、空港、三原山が一望できる大パノラマが楽しめます。また、放牧された牛との風景がとてものどかな癒やしポイントでもあります。
標高854mの八丈富士には、ハイキングコースがあり、山頂には火口をぐるりと巡るお鉢巡りもあります。岩本さんが、八丈富士でハイキングをしたのは、リタイヤ後のことでした。「赴任していたころは海ばかりでしたから(笑)」

宇喜多秀家の墓 画像
宇喜多秀家の墓

続いては、歴史探訪。八丈島は漂流・漂着、そして流人の文化とも言われています。それを象徴する一つが宇喜多秀家の墓です。戦国時代、豊臣秀吉の五大老の一人、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流されました。八丈島の人々は宇喜多家を温かく保護し続けたと言います。秀家は49年間もの間、八丈島で流刑生活を送り、お墓は東京都の文化財に指定されています。

大里の玉石垣 画像
大里の玉石垣

そこから、車で数分の場所には、玉石垣のある「ふるさと村」があります。玉石垣とは、一つの石のまわりに六つの石がある六法積みと呼ばれる石垣のこと。石垣の上には、ツバキやシイなどの常緑広葉樹を植えて防風林にしたということです。玉石垣の続く風景は、南国情緒が漂い、かつての八丈島の原風景を物語っています。ふるさと村には、八丈島での昔の生活を知ることができる高床式倉庫など貴重な建物が保存されています。

樫立踊り 画像
樫立踊り

次に訪れたのは、江戸時代に幕府御用船を管理する職にあった、服部家の屋敷跡。ここでは、東京都の無形文化財に指定されている「樫立踊り」、そして「八丈太鼓」の実演が行われています。ここで、岩本さんに思わぬ再会がありました。樫立踊りの歌い手であるご婦人になんとなく見覚えがあるなと声を掛けたところ、岩本さんが赴任していたころに踊り手を務めていたことがあると言うのです。当時、40ウン歳にして新人として踊っていたこのご婦人と、当時どこに住んでいたとか、じゃあ、誰々は知っているかとか、岩本さんも当時の話で盛り上がっていました。ご婦人は、30年以上「樫立踊り」の演者として伝統芸能を守り続けています。その歌声は、はりのあるとても清んだもので、場内に響き渡っていました。今度、宇喜多秀家のイベントで、岡山県公演が控えているとのことでした。

家も漁船も自作する浅沼ワールド

おもちゃドクター
ラジコンヘリコプターが飾られた浅沼さんの部屋

本誌でも触れた浅沼さんのご自宅にも伺いました。庭の一角には、何と自分で建てたという趣味部屋の離れがあります。部屋の中は、釣り道具はもちろんのこと、ラジコンのヘリコプターでいっぱいでした。実は、浅沼さんはラジコンの世界でも知る人ぞ知る存在で、昭和61年に世界で初めてラジコンヘリコプターのバートル(前後に二本のプロペラを持つ機種)を自由に操縦することに成功しました。これは、単に操縦というだけではなく、そのヘリコプターを自作しています。そして、その技術は特許を申請するほどのものでした。
今は、マルチコプター(2つを超える数のローターを搭載したもの)での空撮に凝っているそうです。空撮の映像を、いろいろと見せていただきました。

その後は、浅沼さん自作の漁船がある港へ。13年間、漁に出ているという漁船は、とても一般の人が作ったとは思えません。知り合いからも、造船や修理の依頼がときおりあります。世界広しと言えども、家や漁船まで造ってしまうとは、そんな人はめったに出会えるものではありません。これは単に手先が器用だとか言うだけではありません。物事への探求心が人並み外れているのでしょう。船づくりも、誰かに習ったのではなく、本などを見て研究して、見よう見まねで造ったとのことでした。浅沼さんの「人が作れる物は、何でも自分で作れる」という言葉は、とても印象に残ります。岩本さんが師と仰ぐのも、単に釣りだけではない、浅沼さんの人柄ではないでしょうか。

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(LA No.261)

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