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巻頭インタビュー いまを生きる

坂東 元 さん

無学、論に屈せず

旭川市旭山動物園 園長 坂東 元 さん

「ライオンはライオン。象は象です。檻の中にいても」
野生を失わない。生き方がぶれない。入園当初、そのことに驚き、感動し、尊敬し、やがて理解に変わった。生きているから生きている。潔く、シンプル。

潰れかけた日本最北の動物園を立て直し、日本一有名な動物園として、その名を知らしめた。

本文

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無学、論に屈せず(PDFファイル 466KB)

サイドストーリー

旭山動物園は動物の自然な生態が見られる行動展示を実施して、一躍有名になった。1997年以降は入園者数が増加し、北海道を代表する観光施設として定着している。日本国内だけではなく海外からも数多くの観光客が訪れている。2004年6月の「あざらし館」公開以降は、7月は18万5,461人、8月は32万1,500人と、恩賜上野動物園を抜いて日本一の月間入園者数を記録した。2006年度の入園者数は300万人を超え、350万人の来園者があった上野動物園に次いで国内2位、世界レベルでも上位の入場者数を誇る。2010年、愛知県の東山動植物園に次ぐ第3位。寒冷地域に生息する動物の飼育繁殖に実績があり、国内で初めて飼育下での自然繁殖に成功した動物にホッキョクグマ、アムールヒョウ、コノハズクなどがいる。

取材に訪れたのは4月。
旭山動物園にはまだ雪が残っていた。
閉園期間に入っており、園内では春の開園準備のため、清掃、補修などの作業が進められていた。
一番忙しい時期だという。
最初、園長室に通されたが、すぐ移動して坂東さんの待つ別の棟に向かった。
インタビュー取材したのは、実に殺風景な部屋。
ダンボ―ルなどが積まれ、雑然としていた。
つい先程見た園長室を思い浮かべ、何か納得するものがあった。
おそらくは代々の園長が使ってきた部屋なのだろう。園長室には多くの動物のフィギュアなどが置かれていて、装飾的なソファもあった。
園長室然とした所で取材を受けたくなかったのではないだろうか。
広報担当の方の話では、坂東さんは園長室をほとんど使わないという。

坂東元さん。気骨あふれる人、というイメージがあった。
何かのメディアで耳にした高校生の時のエピソードが心に引っ掛かり、お会いしたら是非ともご本人から、お聞きしたいと思っていた。
動物の話とは無縁のことだが、坂東さんの反骨精神が遺憾なく発揮されていると思ったからだ。
高校3年のある日、生徒たちが講堂に集められた。
その日の話は「喫煙について」
若い時の喫煙が、どれほど体に悪いか、といった類の話なのだろう。
自分は喫煙していないし、表はいい天気。
友人数人とサボることにした。講義が終わるころを見計らって、学校へ戻ろうと歩いていると、こちらに向かって走ってくる数人の生徒がいる。
彼らもサボリ組で先生から追われ、逃げてきたようだった。
校門の前に先生が仁王立ちしていたが、坂東さんグル―プは隠れることなく、先生の所にいき、サボったことを謝った。
「今、逃げていった生徒は誰だ?」
名前を言えば、許してやる、という。
「僕たちがサボったことと、名前を言うことと、どんな関係があるんですか?」
坂東さんたちは拒んだ。
放課後、残って反省文を書く日々が始まった。

それは何十日と続き、校内の噂になった。
担任の先生に相談した。
「大人の世界にはいろいろあるんだよ」
担任が目を泳がせながらそう言った時、悔し涙が思わず流れた。
こんな教師に教えてもらうことなんてない。
庇われているプレッシャーに耐えきれず、とうとう逃げたグル―プが自首してきた。
居残り反省文から解放された。
その後の授業態度が面白かった。
教師の顔を見るのもいやで、机を教壇と正反対に向け、真後ろを向いて授業を受けたという。
一人、後ろ向きに授業を受けている姿を想像すると、坂東さんには失礼だが、思わず笑ってしまう。
「午後はもう学校にはいませんでしたね」
このエピソードは坂東さん自身の著書 「動物と向き合って生きる」(文春文庫)に記されている。
この本には生い立ちに始まり、幼い頃、昆虫や蝶に夢中になり、セキセイインコの中学時代、酪農学園大学、旭山動物園に入園する経緯、入園後の動物体験、向き合い方などが瑞々しい文章で描かれている。

閉園間近と噂される旭山動物園に、初めて予算らしい予算がついたのが、1997年。
「こども牧場」「ととりの村」オープンを皮切りに、年々、施設を充実させ、ぺんぎん館、オランウータンの空中放飼場、ほっきょくぐま館と続く。2004年、あざらし館をオープンした翌年には入園者数は200万人を超え、さらに翌年には300万人に達する。
急増する入園者数に注目が集まり、全国から多くの動物園関係者が視察で訪れるようになった。


旭山動物園名物のペンギンの行進

その多くが「どうすれば、そこまで集客できたのか」のヒントを得るためだったという。
“どのように動物と向き合えばいいか”ではなく“成功の秘訣”を聞きにきていたのだ。
端的にいえば「どうすれば儲かるか」
本編でも書いたが、坂東さんは集客のために動いたことは一度もない。
入園者が50万人だろうが、200万人だろうが、さして関心はない。
動物と向き合う中で発見した方法だったに過ぎないのだ。
坂東さんは言う。
「ただ足を運んでくださった方には、心に感動を持ち帰ってもらうことを、心がけています」

その後、全国の動物園に旭山の形だけを真似たコピーで溢れたことは、多くの人が知るところである。
「形だけを追っていくと、一時的に人を集めることはできるかもしれませんが、必ず飽きられる。じゃあ、次どうするの?ってなります」
坂東さんも後追いの施設を幾つも見てきたが、未だに旭山を超えるものに出合っていないという。
仏作って、魂入れず、ということだろう。
後出しジャンケンに勝つ、というのは、並大抵のことではない。
仕事に向き合う時の熱の入れ様、公務員の常識を超えた必死に取り組む姿に驚いて
「どれぐらい特別手当がでるんですか?」と聞いてくる関係者もいたという。
そういう人を前にすると、どう対応すればいいのかわからなくなるという。

特筆すべきは旭山が現在でも行っている「手書きパネル」と「ワンポイントガイド」
実に地味だが創意工夫がそれらの至る所に感じられる。
予算がなかった時代だからこそ生まれた発想だったのかもしれない。

「手書きパネル」
そこかしこにパネルが立てられているが、注意書き、動物についての説明文、動物の死や誕生、他園への移動なども伝えている。
伝えることで抗議電話がくる内容でも、それを承知のうえで、貼りだしている。
伏せることで軋轢を回避するということは一切しない。

「ワンポイントガイド」
そこからは、飼育員たちの動物に対する愛情が、押しつけがましくではなくほのぼのと伝わってくる。
園内を歩いていて思ったことは、飼育員の人たちが皆、とても優しく親切だということだ。
動物に対する愛情がこうさせているのだろう。
坂東さんが入園した年から始まった「ワンポイントガイド」は、最初は飼育員からの反対が圧倒的で、実現が危ぶまれた。
なにしろ、動物の飼育さえしていれば、人と話さなくて済む。そんな人づきあいの苦手な者ばかりが集まった集団。
人前で話すなんてもってのほか。
話し合いを重ね、実現に漕ぎつけた。
飼育員は自分の担当する動物について、檻の前で、たどたどしく説明をする。
話すためには、よく知っていると思っていた、担当する動物を改めて勉強しなおす。話し方に工夫を凝らすようになる。
これは、それぞれの動物のファンを作るためだった。
他の動物園では、考えられないような通常業務外の仕事。
他園の関係者から「よくやるよねぇ」と 揶揄されたこともある。
振り返れば、それらが今の旭山動物園の基礎となっているように思えてならない。

「自分はとても人前で話すことなんてできない。でも紙芝居ならできるかな」という人がいた。
その人はストーリーを作り、絵を何枚も描き、客の前で紙芝居をしてみせた。
それは荒っぽいタッチながら不思議に魅力に満ちた絵で、観る人を惹きつけた。

「もしかしたら、自分は絵を描く仕事に向いているのかもしれない」
紙芝居を作ることで、天職を発見した人。
旭山動物園に飼育員として25年勤め、後に絵本作家となったあべ弘士氏である。退職後の1994年、講談社から発行された絵本「あらしのよるに」は全7作で300万部を突破し、映画化された作品も好評だった。

いのちは全体そのもの。個々のいのちではない。
自分は全体の一部であり、全体が自分そのもの。
「いのちとは何か」「生とはどういうことか」「死とは何か」
それを伝える場所として、動物園の役割がある、と坂東さんは信じている。
人はいまだに大量生産、大量消費の世界にいる。
このままの価値観では、やがて自然は壊滅状態になってしまうことを誰もが危惧しながら、負のスパイラルは止まらない。
「人類が滅びるのは自業自得だからしょうがない。でも滅びるとしたら、今回は想像を絶する数の生き物を道連れにして滅びるような気がします」
人と動物が共生できる可能性を求めて、坂東さんは探り続ける。

(LA No.296)

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