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巻頭インタビュー いまを生きる

宇津木妙子さん

ちゃんと、叱られてるかぁ?

元 女子ソフトボール日本代表監督 宇津木妙子さん

1971年実業団のユニチカ垂井ソフトボール部に入部。84年現役引退後、日本リーグ・日立高崎の監督に就任。2000年シドニー、2004年アテネでの活躍を記憶されている人も多いはずだ。2005年、日本人女性初の国際ソフトボール連盟殿堂入りを果たす。

本文

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ちゃんと、叱られてるかぁ? 本文(PDFファイル 444KB)

サイドストーリー

選手から、いかに慕われているか、のエピソード。
「宇津木監督」といえば、必ず出てくるのが「1分間40本の速射砲ノック」 「猛練習」 「どやしつける」である。
最初の2つはまさにその通りだが、「どやしつける」については、マスメディアが誇張しすぎるところがある。
確かに、緊張感を欠いたプレーを選手がした時は、報道陣がいようが、いまいが、ベンチを脱兎のごとく飛び出して選手に走り寄り、どやすことはある。
それを大袈裟に書きたてた結果、そのイメージが定着したのだろう。
「監督のイメージをこれ以上悪くしたくない」
いつの日か、選手同士で暗黙の取決めができた。
報道陣が来ている時や、テレビカメラが回っている時は、監督をきっちりマークする。
選手のところに走って、「どやす」前に、立ち塞がらなければならない。
いつ飛び出すか判らないので、選手もプレーとは別の緊張を強いられる。
なにしろ現役時代は「瞬発力の宇津木」で観客を魅了した人である。その瞬発力は半端ではない。
兎もビックリの「脱兎」だから、ある意味で選手も緊張感と瞬発力のアップにつながるトレーニングをしているようなものだ。

ノック

「どやす」についてもう一つ。
練習が日々順調に進んでいる。試合も近い。
こんな時こそ思うこと。
「誰か失敗しないかなぁ」
「順調な時ほど、一発しめておく必要があるんです」
プレーで誰かがへマをしたら「しめた!」と思う。
その時ばかりは「脱兎」どころでなく、「脱豹?」のごとく、ゆるいプレーをした選手のもとに走り寄り「どやす」
それでチーム全体に良い緊張感が生まれる、という。

宇津木監督の采配を初めて観たのは、10年前。アテネオリンピックの時だった。
オリンピックも間近に迫ったある日、宇津木監督を観てくるようにボスから言い渡された。
「宇津木監督を?」
「オリンピックを」と言わず、「ソフトボールを」とも言わなかった。
あまりにも直前で、アテネ直行の航空チケットが手に入らず、トルコ・イスタンブールから列車で行くことになった。
入手したゲームのチケットは決勝リーグのもの。それまでにアテネに着けばいい。
イスタンブールに着いてから決勝リーグまでには多少の間があった。
ボスボラス海峡、トプカピ宮殿などを巡りながら、ネットカフェに立ち寄っては、日本チームの試合結果を確認する。
すると、日を追うごとに予選リーグの雲行きがあやしくなってきた。
オーストラリアに負け、アメリカに負け、カナダに負け、唯一台湾には大勝していたものの、イスタンブールを発つ時点で1勝3敗になっていた。
あと1敗したら予選リーグで敗退の可能性がある。
そうなれば、この旅は、一度も日本チームのゲームを観ることなく帰ることになる。
途中下車をしながら、新しい町に着くたび、ネットカフェに直行した。

その後の3戦。ギリシャ、イタリア、中国と勝ち進み、決勝リーグに進んだ時は嬉しかった。
夜行列車でアテネに着いたのは、決勝リーグが始まる日の早朝。
まず中国との3位決定戦進出を賭けたゲームで辛勝した。
そして、その日のうちに、オーストラリアとのゲームに敗れ、銅メダルが決まった。

練習風景

決勝リーグ・中国戦でのエピソード。
試合は延長戦になり、宇津木麗華選手の放ったタイムリー2塁打で日本が勝利した。
その時、麗華選手は塁上でうずくまったのだ。
実は後で知ったことで、その場にいながら私はそれを見落としていた。
今回のインタビューで宇津木さんに確認すると、
「麗華は本当は打ちたくなかったって。でも、打ってしまった。塁上にいる麗華に守備してる中国の後輩たちが非難の言葉を浴びせたみたいですね。複雑な気持ちだった筈です」
宇津木麗華選手。
15歳の時、日中交流試合で観た宇津木妙子選手の素晴らしいプレーに夢中になり、機会あるごとに教えを乞い、10年後には日立高崎に所属した。その後、日本に帰化し「宇津木麗華」という日本名を持つ。

報道関係の通行パスを持っているわけでなかったので、報道陣に取り囲まれてゲーム後のインタビューを受けている宇津木監督を、遠く観客席から眺めていた。

アメリカとオーストラリアの決勝戦を観た翌日、オリンピック会場から遠く離れた町を歩いていた時のこと。
オリンピックに沸く人ごみに紛れて歩くうち、何かが目の隅を通過したように感じた。
サンバイザーをかぶり、サングラスをかけて・・・・えーと、あれは・・・・
すれ違って、しばらく経ち、突然ハッ!と気付き、来た道を急いで引き返した。
遠くにそれらしき人を発見した瞬間、その人は角を曲がって消えた。
どこかの店に入ってしまったら、探しようがない。
確かこの角だったと思いつつ走りながら曲がろうとした途端、人とぶつかりそうになった。
宇津木監督だった。
おそらく、遅れて歩いてくる選手たちに声をかけるために角まで引き返してきたのだろう。
この広いアテネで、こんな偶然があるのだろうか。
この人を見るためだけにアテネにやってきたのだ。
私の驚きに、監督も怪訝な面持ちでサングラスを外し、まじまじと見つめてきた。
「銅メダル、おめでとうございます」
それだけを言って、握手していただき、来た道を引き返した。
振り返ると、監督は決して人に見せることがないだろう佇まい。
一人、ポツン
と立っていた。
日本が決勝リーグでオーストラリアに敗れるまで取り巻いていた報道陣は誰一人、そこにはいなかった。

今回のインタビューで、そのことに触れると、少しずつ当時のことを思い出されたようで、遠くを見る眼差しになり、その日いちばんの笑顔になった。

インタビュー風景

(LA No.261)

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