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巻頭インタビュー いまを生きる

いのち、連鎖して

「NPO法人 森は海の恋人」 理事長 畠山重篤さん

養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授と、さまざまな肩書を持つ畠山さんが、森林と海との関係に気付いたのは1960年代のことだという。その後、森林が果たす役割の大きさに着目し、豊かな海を取り戻すための漁民による落葉広葉樹の植樹活動を続けてきた。1990年からは、子どもたちを養殖場へ招き、環境教育のための体験学習も継続している。

本文

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いのち、連鎖して 本文(PDFファイル 1.2MB)

サイドストーリー

畠山重篤さんインタビュー

取材に訪れたのは春まだ浅い4月の初め。
通常であれば、インタビューは、その人のメインテーマの周辺の話題から切り出すところだが、畠山さんの場合は違った。

「幼い頃の読書歴を教えてください」
唐突な質問で、一瞬驚かれたようだった。
一体、どんな本を読んで育ったのか。
是非とも最初に知りたいことだった。
それは、取材するにあたって、畠山さんのこれまでの著作の幾つかを読んで衝撃を受けたためだった。

「我々の年代、本は貴重なものでした。
私の両親は、時々ですけど本屋に連れて行って『どれでも好きな本を買っていい』というようなことを言いました。それは当時にしては、珍しいことだったと思います」
生き物が好きだったので「シートンの動物記」や宮沢賢治、様々な人の伝記を読む。

「書くということの修業はしたことありません。幼い頃から体験したことを、ただ綴っただけです。個人的体験のドキュメンタリーといいますか、それを書き留めておきたいという思いかもしれません」

原稿
「森は海の恋人」
「リアスの海辺から」
「牡蠣礼讃」
「日本〈汽水〉紀行」
(いずれも文芸春秋)

牡蠣に始まり、汽水域の充実の大切さ、森・里・海の関連。
生まれ育った地に生きる、海の、山の生き物への眼差し。
時に郷土の名もなき人の生きた様を尋ね歩き、時に「リアス」の意味を求めて遠くヨーロッパまで旅する。
端正な文章の中にユーモアを数滴たらし、抑制のきいた情感を漂わせる。
深い洞察と見識。
気付けば、仕事であることも忘れて読みふけっていた。

26年前に始まった植樹活動の意味を解りやすく記した数冊がある。
小学生でも読めるよう、周到に気が配られている。
「山に木を植えました」(講談社)には数多くのイラストレーションが配され、説明を補足するためというよりそれ自体を楽しめるような内容と完成度。

畠山さんの漁場である気仙沼湾の汽水域にとって不可欠な鉄分(フルボ酸鉄)の大切さに触れた「鉄で海がよみがえる」(文芸春秋)など「鉄」に関しての何冊かの後、「鉄が地球温暖化を防ぐ」(文芸春秋)にまでいきつく。

更に、小学生から大人まで楽しめる絵本。
「カキじいさんとしげぼう」(講談社)は優しい音楽が聴こえてきそうな一冊。

植樹祭
植樹祭

26年前、「牡蠣の森を慕う会」を結成し、「森は海の恋人」植林祭(後に『植樹祭』)を続けてきた。
最初の植樹は遠く気仙沼湾を見下ろす室根山(岩手県)の頂き付近から始まった。
直線距離にして25km 。普通では考えられない距離である。
気仙沼湾には大川という川が流れ込んでいる。
その源を辿ると室根山の頂きに至るというのが発想の原点。

当時、森は戦後の植林計画で杉ばかりが植えられ、陽が差さず、下草も生えてこない状態。
落葉広葉樹の腐葉土が鉄分(フルボ酸鉄)を生み、それを含んだ川の水が海にそそいで、汽水域の植物プランクトンを育てる。
間伐もされず放置されたままの杉林では、あまりに養分に乏しく、更に大川には生活排水や農地から除草剤、化学肥料が流れ込んでいた。
海を豊かなものにしたい。
そのためには森だけでなく、流域の全てを包括的に考えなければ。
室根山の頂きから始めよう。
それには林業に携わる人、農業を営む人、流域に暮らす全ての人々の協力なしには、成しえない。

協力を室根村(現在は町)にお願いに行った時のエピソードが面白い。
「この川のおかげで我々漁民は暮らすことが出来ます。ありがとうございます」
最初にお礼を言ったという。
当時の村長は驚き、感動した。
「今まで、川をもっと何とかしてくれ、と文句を言われたことはあるが、礼を言われるのは初めてです」
村長は植樹活動の人集めなど、様々な協力を惜しまなかったという。

流域にある農業従事者との初めての会合に畠山さんが出席した時も同じことが起こった。上流域で稲作をしている人の話。
「畠山さんが挨拶された時の切り出しの言葉が、『上流の皆さん方、上流の森、このおかげで私ら海の人間は生かされています。ありがとう!』でした。鳥肌が立ちました」
農業と、漁業の従事者の協議として捉えていたその場の全員が、予想もしなかった最初の一句に思わず引き込まれ、畠山さんの話を懸命に聴いたという。

中原中也の詩のタイトルではないが、その時の海は「汚れっちまった悲しみに」の状態だった。
あらゆることにプラス志向していく畠山さんらしいエピソード。

その後、除草剤を使わず、合鴨農法を始めた人など、環境配慮型の農業を始める人が増えていき、植樹活動、海の体験学習も毎年続けられ、現在の豊かな海を取り戻すことになる。

2011年3月、三陸沿岸を襲った東日本大震災の津波。多くの家が失われたが、畠山さんは復興を助けるチャンスがあるのではないか、と考えた。
「植樹も大切ですが、十何万軒の家を建てなきゃならないでしょ。それを輸入材に頼るのではなくて、日本国中に放置された杉林を間伐することで木材の需要に応えることができるのではないか。森も蘇る。こういう機会はそう訪れない。今、そういう仕組みに取り組んでいます。ある意味、絶好のチャンスですから」
震災、津波を不幸な出来事のカードとしてだけ捉えることなく、その中に可能性を見つける。
畠山さんらしい逆転の発想。

インタビューの後、手塩に掛けたタカラモノを振舞って頂いた。
濃厚な味わいの牡蠣と、柔らかな甘みのホタテ貝と。
何万回、何十万回やってきたのか、手慣れた動作で殻から身を外す。
スタッフ分の殻を開きながら、「こんなことも出来るんですよ」と笑う。
ウィットに富んだ愉快な畠山さんでもあった。

(LA No.177)

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