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巻頭インタビュー いまを生きる

歩歩是道場ほほこれどうじょう

プロサッカー監督 佐々木則夫さん

佐々木則夫さん(54歳)。
2011年、FIFA女子ワールドカップで優勝、翌2012年ロンドンオリンピックでは準優勝に導いたプロサッカー監督。
オリンピックが8月。代表監督としての契約が9月まで。
オリンピックで決勝へと勝ち進みながら、自身の進退が胸をよぎっていたに違いない。

オリンピック決勝でアメリカに敗れた時の感想。
「笛を吹かれた瞬間、一つの節目が終わった、と感じましたね」以後、去就をめぐって悩みに悩んだという。インタビューをしたのは、まだ決めかねていた10月。11月に監督としての続投が記者会見で発表された。

本文

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佐々木則夫 本文(PDFファイル 1.3MB)

サイドストーリー

サッカーの名門、帝京高校ではキャプテンを務め、インターハイで優勝。
明治大学を卒業後、1981年、日本電信電話公社に入社した。
「ノンプロに行きたい気持ちもあったのですが、日常業務の後にサッカーをするという選択肢もあるな、と思ったんです」

電電関東で10年間、選手としてプレー。
以後、指導者としての道を歩む。
Jリーグ開催の機運が徐々に高まってきていた。
1998年にジャパンフットボールリーグ時代の大宮アルディージャの監督、Jリーグ加盟後は大宮アルディージャの強化普及部長となる。

Jリーグがスタートしたのは1993年。
佐々木さんはJリーグ加盟に向けて奔走した。
NTT関東サッカー部(大宮アルディージャ)がJリーグ(J2)に加盟したのが1999年。

潔い人。
2006年、サッカー日本女子代表コーチの要請を受けて、24年間勤めたNTT関東を辞職した。
年収は格段と下がった。
「日本サッカー協会(JFA)からは会社に在籍したままでもと言ってくださいましたが、決意を新たにしてチャレンジしました」

会社を辞めることを家族に相談した時、妻・淳子さんは即座に了承した。
しかし“女子”を指導する難しさへの気がかりはあった。
そこへ長女の千尋さん。
「パパならできるよ」
「娘は小学、中学、高校時代、サッカー部に入っていました。キャンプも含め、時々指導に行っていたので、その時の感想を他の部員から聞いていたのでしょう」
練習の時、冗談を言うなど時には笑いを入れて、楽しくサッカーを教える佐々木さんは選手達から、なかなかの評判だったという。
この時、娘さんを通して女子サッカーに関わる経験を既にしていたことになる。

佐々木さんの著書「なでしこ力(ぢから)〜次へ〜」の中で千尋さんはこんなことを書いている。
「父を一度も嫌いになったことがない。父に監視されていると感じたことはなく、かといって放っておかれたわけでもない。話したいと思う時は、いつも相談に乗ってくれて、最終的には『千尋の人生だから』と、私の決断を尊重してくれる。託してくれるからこそ、責任感が生まれる。私がいつも父に感じるのは『見られている』ではなく『見てくれている』だ。それは、サッカー指導者としても、父が貫いている流儀なのだと思う」(『なでしこ力(ぢから)〜次へ〜』講談社 より)

テレビのロケで北アルプスを23日間縦走 2009年夏

インタビューを進める中、NTTのOBのみなさんに一言お願いします、と水を向けた時、「いや、係長にさえなってない人間が大それたことは言えないんですが・・・」と前置きした。

係長になっていない。

筆者の推測にすぎないが、会社としては、佐々木さんを役職から解放することでサッカーに重心を置いた活動を存分にしてもらいたかったのではないだろうか。
だが、事もなげにそう言ってしまう度量に驚く。

「うちの母にもいつも言ってるんですけど『身近な目標を持て』って。その目標に向かって毎日を過ごせば、生きがいが出てくるでしょう、ってね。『毎日、歩け』と言っても駄目なんです。『今度どこそこに行く。結構歩くことになるから、準備しておいて』と言うと、それなら歩いて準備しておかないとまずい、というので毎日歩く。そういう目標をつくるのがいいんじゃないですか」

自宅書斎の使い慣れたデスク

インタビューを終え、先に退室しようとした時、佐々木さんが不意に生真面目な表情で「今、澤がここに来ますよ」と言った。
えっ!!??
驚いた。
会ってみますか?のニュアンスが含まれていた。
わずかな間をおいて、ニコッ!と崩れ、冗談であることを表情だけで伝える絶妙なタイミング。

こんな些細で単純なことにも佐々木さんの魅力が潜んでいる。

(LA No.136)

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