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巻頭インタビュー いまを生きる

木村秋則さん、20年前に絶対不可能と言われていた林檎の自然栽培(無農薬・無肥料)を成し遂げた。

りんご農家 木村 秋則

林檎の無農薬栽培ほど他の果実栽培に比べて困難なことはない。当時は絶対不可能とまで言われていたようだ。
リンゴは明治時代にアメリカから輸入された果樹で、自然のままに放置しておいては果実ができないし、樹木も枯死する。日本の風土に適した果樹ではない。
収穫後にも樹木の手入れが必要だし、樹木そのものの生命を長く維持するため、雪の中でも剪定などの手入れが欠かせないという実に手間のかかる果実なのだ。
季節・気候・時期・リンゴの生育段階に応じ多種類の病害虫がつく。対策として、リンゴ樹とリンゴを徹底的に消毒しなくてはならない。年50回が農薬散布の標準的回数であるとも言われ、約20種の農薬を数十回に分けて散布した記録なども残っている。

木村さん自身も最初から全て無農薬・無肥料ではじめた訳ではない。
「年に10数回だった農薬散布を5回に、翌年は3回、次は1回と減農薬にしていった。結果はまずまずだったのな。回数は減らしたけど農薬を散布してるわけだし、土の中などにまだ残っていた農薬が効いたんだな。そのうち、せっかくここまできたんだから、福岡正信の「自然農法」のように“無農薬でやってやろう”と決心したんです」。

本文

冊子本文はPDFにてご提供しております。本ページをご覧いただく前に是非ご一読ください。

木村 秋則氏本文(PDFファイル 1.2MB)

サイドストーリー

初めての時。

「実は何を聞いていいのか判らないんです」
木村さんにお会いした時の私の第一声。
「取材したい。お話を伺いたい」とお願いし、ようやく実現したというのに何という失礼な切り出し方。
口にした途端、「あっあっあっあっあっあっ」と快晴の空に向かって木村さんは大きく笑った。
「あはは」というようなH音を含まない笑い声。挟まった「っ」も出来ることならもっと小さな「っ」にしたいところ。「あああああああ」と表現したいぐらい。そんな始まり方で奇をてらうつもりはなかった。
木村さんについて書かれた(ご本人の著作も含め)本は十冊ほど読んでいたし、いろいろな人が書いた数多くのブログも読んでいたし、番組も何本か観ていた。それでも幾つかの質問したい事柄はあった。
それがお会いした瞬間、吹き飛んだ。
まるで今まで何度もお会いしていて、その日もただそんな中の一日に過ぎないような、或いはそんな始まり方が相応しいような空気が木村さんを包んでいたのだと思う。

林檎畑で。

木村さんは二本の隣り合う林檎の樹を交互に指差し「この二本の樹は同時に植えたものです」と言った。
驚くほどその二本の樹の大きさは違っていた。
一本の樹は太い幹に充実した枝を思い切り伸ばし、一本は半分程の太さでいかにも頼りなげに立っている。
「一つには声をかけ続け、一つには声をかけなかったんです」
「声をかけるって大事なことなんですね。中には声をかけなかったばかりに枯れてしまった樹もあります」

生き物に限らず、物にはいのち(魂)が宿っているという。道具でも機械でも使う前に声をかけることがある。

一つ気になっていたことがあった。

「誰が最初に木村さんを発見したのか」
木村さんが林檎の自然栽培を確立して約20年。
現在のように全国的に知られるようになってわずか4年ほど。
NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」がオンエアされ、さらにそれが「奇蹟のりんご」という名で書籍化されて以降のこと。
これだけでもマスメディアの力の大きさに驚かされるが、そのマスメディアも何かのメディアから情報を受け取っている。
「最初は陸奥新報の工藤幸夫さんです。まだ林檎の成らない頃に通ってきて記事にしてくれました」本文では第一発見者をレストランのオーナーシェフ山崎隆さんと記したが、厳密な意味では工藤さんということになる。
自然栽培法を発見したのは木村さんだが、その人を発見し地道にその成果を育てた人たちがいる。

木村さんの言葉。

「人は自分の体に稲を実らせたことがない」

「大事なものは見えない。土も同じだ」

「自然の土は柔らかくて、いろんな生物の匂いがするんだなぁって」

「『育ててやってる』なんてのは駄目。あくまで主役はリンゴ」

「取り組む姿勢に『心』がないと。自然界では人間なんて新参者なんだから」

農業指導。

北海道・旭川に近い北竜町での農業指導風景を見せていただいた。
弘前での取材は終わり、東京に戻っていたが、偶然にも旭川に所用があり、少し無理なスケジュールを組み合わせて出かけていった。
今年から稲の自然栽培を試みようとしている近隣の農家の方5、6名とミーティングルームで質疑応答する。
その後、近くの稲田まで出向き、そこでも指導、解説をする。代々農家だった人たちであるからこそ、木村さんの大胆な提案に不安の色を隠せない。木村さんはその不安を具体的な情報で拭い去る。
「最初はこんなひ弱な稲で大丈夫かな、って不安になって胃薬が必要かもしれませんが、7月20日を過ぎたら驚くほど立派な稲に成長します」
稲作でも失敗を重ねた末、確立に到った自信は揺るがない。
林檎が成らなかった頃の話だが、並行して稲作を手掛けていたことがあり、4年目には稲でやっていけるだけの成果を得た。
しかしその時、林檎の無収穫が続いていて、田を売却しなければならない事態に陥っていた。
「それは、それでよかったのだと思います。もう林檎しかない、後がない。だからあれだけ頑張れたんだと」

およそ人間の食べられるものなら、擦ったり刻んだりして水で希釈し農薬の代わりに散布した。
あれも駄目、これも駄目、の繰り返し。
その間にも害虫は畑の葉っぱを食べつづける。病気が畑に蔓延する。
長年に渡る研究・試行錯誤の末、僅かに幾つかのものが効果あることを見つける。
木村さんのヒリッとするユーモアを含んだ言葉が興味深い。

「農薬に勝るものなし」

「私ほど農薬の威力を知っている人はいないでしょう」

収穫できなかった時期、りんごの価格は高騰していた。「周りから“かまど消し”って言われてさ。こっちの言葉で、かまどの火が消えると家が滅びるって意味なんだけどさ。でもね、仮に2年くらいで無農薬がうまくいってたらさ、今でもりんごに対して傲慢な姿勢だったような気がするのね」。

文:ルポライター津川宏幹

あれから数ヶ月…

木村さんのりんごの木が実をつけました

取材にお伺いしたときには、まだ花も咲いていなかったりんごの木々でしたが、夏を越し秋を迎え、実がなって色が付きました。
一つでいいから譲って頂けないものかと、取材スタッフが懇願してみたのですが、すべてのりんごの行き先は決定済みとのこと、眺めてヨダレを流すのみだったそうです。

ああっ、いつか半分でいいから食べてみたい。

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