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特集 フィナーレを飾ろう

人生のフィナーレをいかに迎えるべきか

渡邊 一雄 さん

「終活」がブームになるなど、人生のフィナーレを最高のものにするために、「いかに生きるか」は大きなテーマとなっています。波乱万丈の人生を送ってきた渡邊一雄さんに、「人生いかによく生き、よく死ぬか」についてお聞きし、「終活」について考えてみました。

本文

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人生のフィナーレをいかに迎えるべきか 本文(PDFファイル 732KB)

サイドストーリー

ノースカロライナ州ダーラム市から「名誉市民」授与

渡邊一雄さんは、実に多彩な経歴の持ち主です。本誌では紹介しきれませんでしたので、あらためて一部をご紹介したいと思います。

渡邊さんは昭和11年生まれ、一橋大学法学部を卒業後、三菱電機に入社。米国に留学しマサチューセッツ工科大学スローンスクールを修了しています。海外勤務の経験が長く、香港の三菱電機菱電貿易の社長等を歴任。そして、昭和58年、三菱セミコンダクターアメリカの社長として米国勤務。ここまでは、まさにエリートサラリーマンの人生です。しかし、仕事そのものは順風満帆とはいかず、ビジネスパートナーに裏切られるなど、苦難の連続だったと言います。それでも、「仕事第一の人生でしたから、家族のことも犠牲にして、持ち前の粘り強さで何とか切り抜けました」と言います。

そんなワーカーホリックな日々を送っていた人生を一変させたのが、本誌でご紹介した「フィランスロピー」との運命的な出会いです。あの国歌斉唱体験以来、渡邊さんは地域貢献に目覚めたと言います。そして、なんとノースカロライナ州ダーラム市から「名誉市民」の称号を授与されています。

会社の入り口に「ボランティアお断り」の貼り紙をしていた頃のことを考えると、まさに180度の方向転換です。渡邊さんは「ギアチェンジ」したとおっしゃいますが、なかなかできることではありません。

フィランスロピーを大学で教え、老人ホームの施設長に就任

渡邊さんの米国滞在は留学も含め、約10年になりました。昭和62年に帰国してからは、三菱電機営業本部顧問としてサラリーマンを続けながらフィランスロピーの普及活動を始めます。『体験的フィランスロピー』の著書も上梓しています。同時に、経団連社会貢献委員会、経済企画庁国民生活審議会、厚生省中央社会福祉審議会等の委員を務めます。

フィランスロピーが世間で注目されはじめると、大学で講師をしてくれないかという依頼がくるようになり、三菱電機を退社し、フィランスロピー論を教えることに専念します。

ざっと教えた大学や職名を並べると、岩手県立大学社会福祉学部教授兼国際社会人教育センター長、東京大学医学部研修医講師、川崎医療福祉大学教授、上智大学、琉球大学の非常勤講師、札幌市シニア大学専任講師、日本社会事業大学理事・大学学院特別客員教授、NHK文化センター講師、などなど。

そして、平成16年に新たな天命ともいえる仕事に就くことになります。請われて、世田谷区にある特別養護老人ホーム「等々力の家」の施設長に就任しました。入居者の平均年齢は89歳で、ご自身の親世代。職員の平均年齢は27歳で、ご自身の子ども世代です。

ここでは、まず民間とは違う施設運営や福祉の世界とのギャップに驚かされたといます。社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームは、補助金頼りの運営で、いわゆる“お役所”体質。渡邊さんは経営者として辣腕を振るってきた組織運営のプロフェッショナルです。その空気感の違いに初めは戸惑ったそうです。

社会福祉法人がうまく運営していくには、「“儲けること”と“見返りのない行為”このダブルスタンダードをどう両立していくかが鍵になります。二律背反の要求に応えることの難しさを痛感しました」と言います。施設長は、当初の契約期間どおり4年間務めています。

三遊亭大王 フィランスロピーは「笑い」が大切

いくつもの顔を持つ渡邊さんですが、極めつけは社会人落語家「三遊亭大王」としての顔。

アメリカ滞在中に、日本人とアメリカ人の会話の違いで痛感したのは、ユーモアだったとのこと。アメリカ人はどんな会話にもユーモアをうまく取り込みながら会話します。そこで、渡邊さんは、今後フィランスロピーを広めていくにはユーモアを交え、明るく楽しく話をしたいと思い、三遊亭圓王師匠が率いる「三遊会」に入門したのです。70歳のことです。三遊亭圓王師匠の「これからの高齢社会には笑いが必要で、その社会に笑いで貢献できる人を育てたい」という言葉を聞き、自分のライフワークであるフィランスロピーと一致していると感心、すぐに師匠が好きになったと言います。

修業を積むこと2年、“三遊亭大王”の名前をもらい、社会人落語家としてデビューを果たします。しかしその後、さらなる試練が渡邊さんを待ち受けていました。75歳の時に、突然全身に激しい痛みが走る1万人に1人という病気にかかってしまったのです。2年間ほぼ動けない時期が続いたのですが、それでも落語だけは、杖をつきながら稽古に励んだそうです。2014年には、国立劇場での舞台も経験しました。


講演会を盛り上げる渡邊さん

何とか闘病生活から立ち直った様子は、本誌の冒頭で紹介した著書『77歳のバケットリスト〜人生いかによく生きよく死ぬか〜』に詳しく書かれています。バケットリストとは、人生の最後を迎えるまでに、やっておきたいことを列挙するリストのこと。病気で“死”にも直面した渡邊さんの死生観がつづられています。

残された人生を楽しむためにもフィランスロピーが大事になる、そのフィランスロピーは「笑い」で始めようとおっしゃいます。身内のご不幸があったにもかかわらず、ユーモアを交えながら取材に応えて頂いた渡邊さんに、心より感謝申し上げます。

渡邊さんの本
『77歳のバケットリスト〜人生いかによく生きよく死ぬか〜』
詳しくはこちら

(LA No.349)

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